友人宅で何気なく撮った写真が盛大にtwitterでバズった。
インターネットしてる pic.twitter.com/FvZugM1Tt9
— ちゃーりー (@sirrow) May 11, 2019
なんでこの写真がこんなにバズったんだろうって考えてみたのですが、よくわからなかったので、とりあえず、最近自分が思っていることを、このバズにかこつけて書きます。
あくまでも自分が思ったことを書くだけなので定量的じゃないんだ。もうしわけない。
なぜこの写真がこんなにバズったのか
付いた返信が多すぎて全ては読めていないのですが、大部分は
「昔使っていた」「懐かしい」「いつの写真だ」
という、リアルタイムでiBookのことを知っている人によるもののように思えました。
その一方で、
「見たことがない」
という返信もありました。
ここからわかることは、昔iBookを見たり触ったりしたことがある人は、その記憶をしっかり留めており、また、昔iBookを見たり触ったりしたことがない人にとっても興味の対象となっている、ということなのかなと思います。
昔見たことを覚えていたり、見たことない人が、非常に古いものにもかかわらず興味を持ったりするのは、ひとえにその特徴的な外見にあるのだろうなと思います。
この外見によって得することは外見以外にはないように思えます。
この外見であることによって、cpuの動作が早くなるとか、メモリが多くなったり早くなったりするようなことはないはずです。
でも、こういう性能とは無関係な特徴こそが、長期的に人に記憶してもらったり、興味を持ってもらったりするために大切だった、ということなんだろうなぁと、今回のバズを眺めながら思いました。
このiBookはおよそ20年前のものですが、性能的な面で言えば、当時のCPUやメモリの速度や量、ディスクの速度や量なんてのは、現代のそれから見ればどうということはなく、その価値は大きく目減りしたように思います。
でも、この外見は、依然としてオンリーワンであり、その価値は、CPUやメモリほど大きく目減りしていないように思います。
むしろ、20年間、その記憶を留めさせ続けることができたという点で、その価値は日々向上しているのかもしれないなとすら思います。
価値を保ち続けることができたのは、性能ではない面に多大な注力が行われた結果なのだろうなぁと思います。
ふと任天堂のゲームを連想した
任天堂は、かれこれゲーム機とソフトを35年間作っている会社ですが、そのソフトはiBookと似たような特徴を持っているなと思いました。
ゲーム機は、世代を重ねるごとにCPUやらGPUやらの性能が上がり、映像や挙動のリアリティが追求可能となって来ています。
実際にこれらを追求するゲームがある中で、任天堂は、いつも、あえてこれらを追求していないように思えます。
ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドは、すごく面白いし、自分も150時間くらいは遊びましたが、あの映像表現が、現在の他のゲームと比べて取り立ててリアルだとは思いません。
でも、リアルではないからこそ、将来、技術が更に進歩しCPU/GPUの性能が向上し、もっともっとリアルな表現が可能になったときに、
リアルさとはことなる価値が、薄れることなく、改めて浮かび上がってくるのではないでしょうか。
20年後に思い出すものは何だろう
20年後に思い出すものは何だろう、と思います。
Macbook AirやMacbook Proの液晶の天板のりんごマークが光っていたことは、今回のバズと同じように語り草になるでしょう。きっと。
性能向上に寄与しない特徴だからこそ。
あなたは何を思い出すと思いますか?
20年後に思い出してもらえるものはきっと計画的に作れる
20年後も思い出してもらえるということに価値を見いだせるのなら、定量化できない部分にあえて特徴を作り込むといいのかもしれないなと思いました。
直接触ったり、見たり聞いたりするものに限定される話のような気はしますが。
普段、どうしても性能や機能に着目して物を見がちですが、そうじゃない部分も絶対大切だよなと、そう思わせてくれたバズでした。